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August 05, 2006

シニアミリアム、開会礼拝?メッセージ(長倉 望牧師)

「旅立ち」   使徒言行録13章1-3節   長倉 望

▼今日の礼拝は、わたしにとっては、とても不思議な感じのする礼拝になるだろうと思って臨みました。大学時代を共に過ごした学生YMCAのメンバーと、そして、今、共に歩んでいる四街道教会の人たちとが同じ時空間にいるからです。ぼくにとっては、普通ではありえない光景です。そして、学生 YMCAのメンバーにとっても、ぼくがこうして説教をしていたり、あるいは、気がついてみると3人のこどもたちに囲まれて生活をしている、という姿は、ありえない光景かもしれません。普段生活していますと、自分はあまり変化がないなあと思ったり、いつまでも自分は27歳くらいのつもりでいますが、こうしてみますと、それぞれの顔に、ああ、あんなこともあった。こんなこともあった・・・と、嬉しいことや、しんどいこと、様々なことを思い起こします。特に、わたしにとって、大学時代、19歳から27歳くらいまでの間は、多くの出会いによって、本当に自分の生き方が変えられていった時だけに、なんともいえない不思議な思いがします。

 けれども、それが単なる同窓会、今を忘れ昔を懐かしむ同窓会と違うのは、そういうひとつひとつのシーンを積み重ねながら、今、こうしてここにいる、ということを自分の内に確かめながら、またお互いの今を、互いに確かめあう中で、これからに向けて、新しい歩みへと励まされ押し出されていくような、そんな思いがするからです。ああそうだ、あのときあんなことがあったじゃないか、そうして一歩ずつ歩んできたじゃないか。そうした中で四街道教会の人たちと出会い、今も、新しい一歩を歩んでいくんじゃないか・・・この不思議な光景を前に、そんな思いがしています。人と人とが出会い、出会いの中で問われ、自らが変えられながら積み重ねてきたひとつひとつの歩み、というのは、わたしたちを未来に押し出していく不思議な力があるような気がします。

▼さて、今日お読みいただきましたのは、使徒言行録の13章、サウロが宣教旅行に出かける、というところです。アンティオキアの教会からの新しい旅立ちを描いた短い箇所です。蛇足ですが、使徒言行録においてはこの13章で、サウロはパウロという名前に変わっていきます。

 アンティオキアの教会は、様々な人がいた教会でした。そのことについては、7月9日の説教でも触れましたが、今日の聖書に出てくる5人の人の指導者の名前を見ても、アンティオキアの教会がバラエティに富んだ人たちの集りであったことがよくわかります。たとえば、バルナバはキプロス島出身のユダヤ人であり、シメオンはニゲルと呼ばれていたとありますが、ニゲルというのは黒という意味でラテン系の名前です。黒人だったのでしょう。ルキオというのは今で言うリビア人。そして、マナエンは、その当時の教会への迫害者ヘロデ王の親戚だ、というのです。教会の敵対者の身内すらも、アンティオキア教会の一員でした。そして、最後はのちにパウロと名前を変えるサウロです。このように、様々な人種、様々な政治的・文化的な背景を持つ人々、そして言語の違い・・・そのような人々が集ったのが、アンティオキアの教会でした。あるひとはアンティオキアの教会を、パッチワークのような教会だ、と評しました。そして、そのアンティオキアの教会こそが、パウロにとって、特別な教会となっていったのではないか、ということもまた、思わされるのです。巻末の地図を御覧になるとわかるように、サウロの3度にわたる宣教旅行は、すべてこのアンティオキアの教会から始まっているからです。

▼そもそもアンティオキアの教会は迫害を受け散らされて行ったヘレニストキリスト者たちが立ち上げた教会でした。そして、異邦人たちがメンバーとして加わっていった教会でもあります。11章19節以下の物語を見ると、そこにエルサレム教会から派遣されてやってきたバルナバが、この教会にサウロをタルソスから呼び戻したとあり、そうしてパウロはこの教会の一員となるのです。

 このことは聖書には淡々と描かれているだけですが、想像するに、サウロがアンティオキアの教会のメンバーとなる、ということはとても大きなチャレンジだったと思われます。なぜなら、そもそもサウロがタルソスにいたのは、ヘレニストキリスト者から命を狙われる存在だったからであり、なぜ命を狙われるのかといえば、もともとサウロはキリスト者を積極的に迫害するものだったからです。そして、その迫害の標的にされていたのが、ヘレニストキリスト者たちであり、こともあろうかアンティオキアはヘレニストクリスチャンの教会だったのです。たとえサウロがキリストと出会い、キリスト者となったと言っても、あるいは、迫害の被害をあまり受けなかったユダヤ人キリスト者たちがいくらサウロを仲間だと認めたとしても、ヘレニストキリスト者たちにの中には、許し難い記憶が、家族や友人たちの迫害の痛みや傷があったのではないでしょうか。だからこそサウロはユダヤ人キリスト者たちの勧めに従ってタルソスへ退いたのではなかったのでしょうか。そのタルソスからサウロはバルナバによってヘレニストキリスト者の教会に呼び戻されているのです。これほど大きなチャレンジはありません。様々な軋轢が起こり、緊張が高まり葛藤があったことでしょう。けれどもアンティオキア教会はサウロを受け入れていくのです。ここで一体何が起こったのか、その時起こった葛藤や混乱や緊張が、どのようにして克服されていったのか、使徒言行録は何も語っていません。9日の説教でも、アンティオキアの教会について、このようなイメージを分かち合いましたが、本当にそのことは凄いことだと思います。

 今わたしたちの暮らす地域においては、北朝鮮のミサイル実験や、昭和天皇の靖国に対する発言のメモが見つかり話題を呼んでいます。その受け止め方は様々ですが、いずれにせよ、思わされるのは、わたしたちの暮らす地域が、第二次世界大戦における日本の加害と被害の歴史の中にあること、また今なおその爪痕が深く深く残る地域にわたしたちは生きているということ、そして60年たったいまもなお和解の出来事を作り出すことのできていない歴史の中に自らがいるのだということを考えるとき、アンティオキアで一体何がおこったのか、いわば加害者と被害者がどのように和解し一つの共同体を形成して行ったのか、というのは本当に大きな関心事となるのではないでしょうか。この数週間、ずっとそのことを考えています。本当に奇跡というのはまさにこのことのような気がします。

 けれども、奇しくも、前回の説教では、聖書の奇跡物語で重要なことは、超常現象が起こり問題が解決するということなのではなく、そこに“出会い”“生きる”“いのち”の物語がある、わたしたちが、与えられたいのちを生き人と出会いつながっていくことができる、出会いやつながりによって生きていくことができる、そのこと自体がまさに奇跡であり、イエスキリストが見出したのは、わたしたちの命の営みの中に働かれる神の力なのだということを考えました。5つのパンで5000人がおなかいっぱいになったり、病気が治ったり、死んだ人が生き返ったりするという現象的な結論が大切なのではなく、そこで大切なのは、苦しみの中にある命がイエスキリストと出会った、そしてその命の出会いの中でパンが分かち合われた、という出来事であり、病のためにそっと後ろからイエスの衣に触れた女性がいた、イエスはその女性を大勢の群衆の中から弟子が無理だというのも聞かずに探し出して、そこに命の出会いと分かち合いが起こった、という命の物語であり、気がつけば、聖書に記されている奇跡というのは、その全てがこのようなわたしたちの“いのちの出会いと分かち合い”に関することなのではないか・・・もっというなれば、わたしたちが奇跡として受け止めなければならないのは、なにも“超常現象が起こること”ではなくて、わたしたちにいのちが与えられているというそのこと、わたしたちのいのちそのもの、そしてその命が出会い生きていくというその一見あたりまえのような“出会い” “生きる”“いのち”ということ、それこそが、聖書の語る、神の創造の奇跡であり、イエスキリストとの出会いであり、聖霊の働きといった「奇跡」の出来事として、聖書はわたしたちに語りかけているのではないでしょうか。

 つまり、わたしたちがいのちを与えられ生きているというそのこと自体が既に奇跡的なことであり、神の業はそのようなわたしたちの命を通して現れるということです。その点で、やはりアンティオキアの教会には、たとえそれがどれほど奇跡的なことだと思われたとしても、そこには書かれていない大変な苦労と地道な努力、いのちの営みがあったのだと思うのです。お互いの過去の歴史や限界や弱さを背負いながらも、そこで出会い、問われ、自らに向き合い、変えられていく、そのような歩みが、そこで積み重ねられてきたのではないでしょうか。そして、そのような歩みが、アンティオキアの教会を、そしてサウロを和解の出来事へと導き、さらに新しい歩みへと押し出して行ったのではないでしょうか。その点において、やはりパウロとアンティオキアの教会の出会いの出来事は、パウロの回心に続いて起こり続けている“奇跡”=出会い・生きる・命の分かち合いの出来事だと言えるのではないでしょうか。

▼残念ながら、聖書はわたしたちに安易な解答を示してはくれません。すぐに答えをほしがるわたしたちに、聖書は問いを投げかけ、また、わたしたちが進むべき方向を指し示すだけです。その問いかけにどのように答え、また指し示された道を具体的にどのように歩むのかは、わたしたちの現実の課題であり、歴史を作り出していく課題であり、命の課題です。けれども、人と人とが出会い、出会いの中で問われ、自らが変えられながら積み重ねてきたひとつひとつの歩み、というのは、わたしたちを未来に押し出していく不思議な力があります。わたしたちがその問いかけに答えようと互いに向き合い、現実を見つめ、自らを振り返るとき、そして、共に生きる人々と、そのような歩みを重ねていくとき、その歩みはわたしたちを未来へと押し出してくれることを信じるのです。歴史を導く神の業は、わたしたちのいのちを通して成し遂げられると、聖書は告げているからです。

 サウロは、自分を受け入れてくれた信仰共同体から押し出され、新しい旅、未知なる旅へと旅立ちます。信仰と現実とわたしたちの命の交わるところに与えられる使命が、サウロを新しい旅へと押し出します。サウロのために祈る仲間の、その祈りが、困難な歩みにあってもサウロを支え続けます。わたしたちもまた、ひとつひとつの命に誠実に向かい合い、出会いの中で問われながら、ひとつひとつの歩みを積み重ね、未来に向けて押し出されて生きる交わりを作り出していきたい、それぞれの歩みをする友のために祈り、友の祈りに支えられて一歩を踏み出していくものでありたいと願い祈ります。

 しばらく黙祷しましょう。

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