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May 28, 2011

関東教区被災支援ニュースより

「あの日、あの時から」 長倉 望(新潟教会牧師、東北大学YMCAシニア)

「ハチドリのひとしずく」というアンデスの先住民に伝わる話があります。森の火事にわれ先にと逃げていく動物たちの中で、一羽のハチドリだけが、いったりきたり、くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としている、というお話です。「そんなことをしていったい何になるんだ」といって笑う動物たちに、ハチドリはこう答えます。「私は、私にできることをしているだけ」。お話はこのセリフで終わります。私はこの話を以前から知っていましたが、実はあまり好きではありませんでした。あまりにも理想的すぎると感じていたのです。けれども、東日本大震災にあたり、何度も小さな自家用車で仙台に物資を運ぶ車中この話を思い起こしました。このお話だけではありません。屋根をはがして病人をつりおろした4人の話や、5つのパンと2匹の魚の話、たくさんの聖書の物語がその車中何度も何度も思い起こされ、励まされていたのです。

新潟地区には、2004年の中越地震の経験から、地区組織の中に“被災支援担当”という部門が現在も常設されています。県内あるいは隣県の自然災害に対して、被災状況の調査ならびに初動期の支援を行うのがその目的です。今回の東日本大震災においても、震災から2日後の3月13日に三条教会で行われた新潟地区総会を終えて、新井純牧師と西川幸作牧師が被災支援担当として仙台に入りました。14日のことでした。「関東教区内にも被災状況があるのは承知しているが、地理的な要因から、新潟地区は東北の支援に入る」との判断でした。

私の携帯電話に新井牧師から「ボランティアセンター立ち上げに必要な物資を購入して新潟から運んでほしい」との要請があったのは、その日の夜のことです。仙台は当時、物流の停止、ガソリンの不足、ライフラインのうち特に都市ガスが停止し、都市機能が麻痺している状況でした。福島の原発事故のニュースも大きな不安材料として暗くのしかかっていました。

私が到着したその日の夜、正式に東北教区支援センターが立ち上がり、物流が回復するまでの間、新潟教会に物資を集積し、そこからエマオに輸送することが話し合われました。実際には3月21日に物流が回復するまでの1週間、ガソリン携行缶、カセットコンロとガスボンベ、カイロが新潟教会に全国の諸教会・諸団体・個人から送られてきました。短い期間にもかかわらず、新潟教会のホールを半分以上埋め尽くした物資には、全国の方々の真摯な祈りがありました。集められた物資は新潟地区の牧師たちが何度も何度も仙台まで自家用車で運びました。山形に入ったらガソリンの給油ができなかったため、仙台~新潟は1度の給油で往復できるぎりぎりの距離だったのが幸いしました。

「私たちは微力かもしれないが、無力ではない」というのが支援センターエマオの合言葉です。確かに私たちは、非常事態であるからといって、特別なことができるわけではありません。けれども今、私たちに求められていること、つまり互いの安否を問うこと、共に祈ること、自分のパンを困難の中にある人と分かち合うこと、命を喜ぶこと、召された方とご遺族の慰めを祈ること、互いに励ましあうこと、隣人のために働くことは、私たちが今まで教会で大切にしてきたことそのものです。私たちはそのことを、より丁寧に、より確かに、より真摯に、より誠実に、より多くの人たちと共に積み重ねていくことが、これからも求められているのだと思っています。

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