May 15, 2011

CSでのお話

「復活ってアホ?」 教会学校 2011.5.8
  ルカ24章1-8 板野靖雄(鳥取大学YMCAシニア)

 3月11日、東北地方を襲った地震と津波で多くの人が亡くなりました。その死は1人1人の死です。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、妹、弟、お兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、友だち・・たちの突然の死です。その上、原子力発電所の事故が追い打ちをかけました。広島・長崎で原爆による被曝を経験した私たちの国が、放射能を出す「死の灰」で空を、大地を、海を、生き物を、人間を汚し続けています。板野さんは、ずっと考え続けています。「なぜ、こんなに悲しいことが起きるのか」「人間っていったい何だろう」、「死っていったいなんだろう」「科学っていったい何だろう」と。

 さて、人間と動物の違いって何だと思いますか? それはお墓を作ること、お葬式をすることだそうです。どの時代、どの国、どの民族でもあてはまるそうです。生きている「生者」と死体の間に「死者」という存在を作ったのです。そしてその死者の思いを聞きとったり、魂を慰めたりする時間を持つのです。人間は死者とコミュニケーションできる存在なのです。びっくりする必要はありません。だって昔の人が書いた本を読むって、死んで今はいないその人と話をすることなのですから。

 さて今日の聖書の箇所です。イエスは十字架で死んだあと布にくるまれて岩の穴の中に入れられていました。女の人たちが集まってイエスの遺体を綺麗にしにやってきます。葬りのためです。「明け方早く」待ちかねてやってきます。イエスの十字架の死を見つめたのも女の人たち。ここでも登場するのは女の人たちです。大体いつでも男は弱虫です。弟子たちは逃げ去っています。  
ところがイエスの遺体が見当たりません。困ってしまった女の人たちに、二人の人(天使かな?)が「なぜイエスを死者の中に捜すのか、イエスは墓の中にいない、復活して生きておられる」と言うのです。

 さて先日、姪がやってきてこんな話をしました。イースターについて尋ねた彼氏に「イエスの復活」の説明をしたそうです。するとその彼氏(大阪の人です)は「死人の復活、アホちゃうか」と言ったそうです。彼のこの言葉どう思いますか?板野さんは思いました「なんて浅い。なんて単純」と。同時にキリスト教にも責任があると思いました。「復活」という言葉を、その時代の時々で伝える言葉、伝わる言葉にするために考え尽くしてこなかったのですから。

 このことを理解するために、こんな場面を考えてみました。「板野さんにとって昇子さんて何?どんな存在?」という問いに「そうだな。空気かな」と答えました。みんな、何を言いたいのかわかりますよね。ところがある人がこの返事を聞いて「昇子は人間でしょ、空気であるわけがない。アホちゃうか」と言ったとします。これって言う方が「アホ」なのではないですか。またある人が「そうです。昇子は空気です。気体だと信じています」と言いました。これも相当に「アホ」だと思います。

 「復活」ということもこれと同じです。イエスが十字架にかけられて殺された後、弟子たちは一生懸命考えました。「イエスって何?どんな存在?」「イエスは何のために生まれて死んだのか」を。イエスの弟子たちは二千年前の古代人です。弟子たちはさらに古い旧約聖書の言葉にその意味をさがしました。そして古代の神話の言葉で「復活」という表現を見つけたのです。

「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」という「物語」をつくりだしていったのです。現代の理解で、それを「アホ」と言ってはなりません。また弟子たちの経験を深くわかることなしに「復活はある」といってはなりません。簡単にわかってはなりません。

 先日、元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが亡くなりました。板野さんたちの青春のアイドルでした。彼女が亡くなる少し前の病床で録音した声が葬儀で流されました。「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。」「いつの日か妹・夏目雅子のように、社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思っています」と。ここには深くて優しい心が宿っています。「天国で役に立つ」や「復活したい」という言葉を非科学的などと笑ってはなりません。科学がわかる分野はほんのわずかです。いのちの価値も死の意味も、生きる目的も、科学は何も教えてはくれません。

 作家の小川洋子さんが「死を納得するためには合理的な理解だけでは片手落ちで、それとはまったく反対な不合理が成立する世界が必要」、「死者とは言葉を持たない、言葉を奪われた存在。その奪われた言葉を作家は一時物語の世界でよみがえさせる。物語には再生の役目がある」と書いています。私たちが生きていくためには「不合理が成立する世界」、「目には見えないものの世界」が必要なのです。死者の声を聞きながら生きるには「物語」を必要とするのです。

 大阪府立大の人間科学科教授の森岡正博さんが震災の後に新聞に書いていました。「人生の途中で命を奪われた人たちは決してこの世から消滅したわけではない。その人たちのいのちは、彼らを大切に思い続けようとする人々によっていつまでもこのように生き続ける。私たちの心の中に生き続けるだけでなく、私たちの外側にもリアルに生き続ける」と。このような宗教の言葉や深い知恵の『物語』がないと私たちは生きていけないのです。宗教や哲学や文学の最も大切なテーマは「死をどう考えるか」です。これからも、しっかりと向き合い、考え続けて行きたいと思っています。みんなも考え続けて下さい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)